キラキラした日記が羨ましい

他の人のブログを読むのは楽しい。

共感できるものもあれば、自分にはない考えかたをする人もいて、とても勉強になる。

 

趣味について熱く語っているブログ、自分の過去の話を掘り下げているブログ、本や映画の感想を書いているブログ、優れた表現力でついじっくり見てしまうブログ。どんなブログも読み応えがあって面白いけど、いつも羨ましいと思うブログは「キラキラした日記」だ。

 

旅行の思い出、散歩で通った道、オシャレなお店、友人と遊びに行った話。

充実していてキラキラしている日常のなかで、思ったことや感じたことを綴っていく。

そしてそういうブログには大抵写真が掲載されている。

それはわたしには絶対に書けないもので……。

 

いまの生活に不満があるわけじゃないけど(仕事がないこと以外)、自分にないものは輝いて見える。隣の芝生はなんとやらだ。

 

 

わたしが日記として書けることはあくまで自分の意見くらいで、日々の生活をブログにして公開するなんて絶対にできない。というか、読んでもらえるような生活を送っていない。

いやもし送っていたとしても、きっと不特定多数の人が見る場所には公開できないと思う。

 

個人情報を載せることで身バレするのが怖くて、とてもじゃないができそうにない。

わたしを知る人にわたしだと気づかれることが怖いのではなく、見知らぬ人間に特定されるのが恐ろしくて仕方がないのである。

 

 

 

わたしが初めてネットに触れたのはwin95の時代。

あの頃はネット上に個人情報を載せるなんてタブー中のタブーだった。

だから顔を晒したり、どこに住んでいるのか分かるような書き込みを見ると、驚くと同時に心配になってしまう。

 

 

実際に、投稿した写真から住んでいる場所が特定されることはままあることだ。

ある女性は目に反射した風景から住んでいる場所を特定されたし、とある漫画家は投稿した空の写真から住んでいる地域を特定されていた。

 

百歩譲って特定されるだけならまだ良い。だがそれが犯罪に繋がってしまったら……。

そう考えると怖くて、どうしても特定に繋がりそうなブログを書くことができない。

もちろん知り合いから個人情報が漏れることもあるから、自分だけが気をつけてもどうしようもないんだけど。

 

 

 

だからこそ、それを曝け出して他人を楽しませることができる人が羨ましく感じる。

本当はわたしだって好きな空の写真とか、散歩中に見つけた花の話とか、たまに行くお店の話もしてみたい。

もしいまの時代に生まれていたら何も気にせず載せることができたのだろうか?

もしも話は無意味だとは分かってるけど、考えずにはいられない。

 

でもいつか東京とか京都とか、誰もが行っているであろう場所に行ったときには、ブログに書けることを絶対に用意しようと思う。

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