私がとらわれていた「しなきゃ」

目が……ッ 目が痒い!!!!!!!!!

 

ここ数日ずっと目が痒くて、いったい何が起こったのかと思ったら……。

花粉、てめえか

 

鼻もグズグズで鼻呼吸できないくらいだけど、もともと鼻炎がひどすぎて鼻の調子じゃ花粉に気づけない。目の痒みはそんな鼻のために花粉を教えてくれたんだね。迷惑。

いまは鼻炎と花粉のWパンチで鼻と目が死にそうです。

ティッシュの消費が激しいので花粉症割引してください。

 

 

 

花粉の季節はマスクをするって人も多いだろうけど、マスクで花粉を防がたことが一度もない。マスクをすると眼鏡が曇って事故る可能性が高くなるし、息苦しくて発作も起こりやすくなるから極力マスクをしたくない民です。

コロナ禍はずっとマスクをつけてないといけなくて地味に辛かった~。

 

マスクはいまや「しなきゃ」の代名詞みたいなものですよね。

さすがに店内や公共機関はお店等のルールに従うべきですが、それ以外は自由でいいはず。

それなのに「マスクをしなきゃ」とついマスクをつけてしまいます。

やっとマスク解禁になりそうだけど今度は「マスクを外さなきゃ」が重荷になりそう。

 

 

でもやっぱり、わたしの場合はマスクよりもゲーム

携わってる時間が多いから必然的に「しなきゃ」も増えていきます。

 

時間がなくても、飽きていても、デイリークエストやギャザリングを「しなきゃ」という義務感だけでやってしまい。それが飽きを助長させるってことは分かってるんだけど「しなきゃいけない」という気持ちが無意識化にあって、やらないと罪悪感と後悔を生んでしまう。

それが嫌でさらなる「しなきゃ」の積み重ね……。

 

 

この負の連鎖を断ち切るためには引退を覚悟するか、ほかにハマるものを見つけるしかありません。そうやって見切りをつけてきたゲームは数知れず、興味がほかに移れば義務感もだんだん薄れていくものです。

とくに物理的にやめざるを得ない状況に追い込むっていうのは、荒業ですがわりと役に立ちます。

 

 

文字数も足りないので小話でも。

 

いまでこそ「友達なんていらない」と思っているわたしですが、むかしは「友達を作らないといけない」と思っていました。

学校ってなにかと集団行動を強制してきて、そのためには友達を作ることが必須条件で。

だから周りに同調して事なかれ主義ていなければならない、そう思っていました。

 

でもいじめにあって、それが世界観を良いほうに動かしてくれたんです。

「こんなくだらない人と無理して友達になる必要があるのだろうか?」

世界の真理をつかんだとき、友達は選んでいい、むしろ選ばなければならないと気づきました。

 

 

しかし残念なことにわたしの周りには友達に値する人物がおらず、いまだに友達がいないままです。

住んでいる地域、学校、職場。そんな狭い世界では友達になんてなかなか出会えないもの。

やっぱりインターネットを活用するのが一番。本当にいい時代になったものです。

 

 

 

 

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