やりがいを感じる瞬間

お題「「やりがい」を感じる瞬間」

なんでも最初はやりがいを感じるものだよね。SNSとかゲームとか、特にそう。

逆に仕事は慣れてきてからのほうがやりがいを感じやすいかもしれない。

 

 

そもそも「やりがい」とはなんだろう。

普段そんなこと考えたことないからハッキリしたことはいえないけど、おそらく自分が満足できるかどうかが「やりがい」というものに関係しているんじゃないかと思う。

 

達成感だったり、他人からの評価だったり、報酬だったり……。

当然すべてを満たせるのがベストだけど、そんなことはまず無理で、そんな貪欲な人間はいくら与えられたところで満足するはずもない。

だから、やりがいを感じるには妥協が必要なんじゃないかと思うんだよ。

改めて考えてみると、プライベートにおいては自己満足のほうに重きを置いており、逆に仕事では他人からの評価がやりがいに繋がっている気がする。

 

ゲームでは「上手くSSを撮れた」「クエストをクリアできた」など目標を達成できたとき。

SNSでは情報を上手く取得できたときやクライアントを自分好みにカスタマイズできたときなどに達成感を感じ、それが自己満足に繋がっている。

つまりやりがいを感じるには達成感が大切ってことだ。

 

どれも時間も手間もかかることだけど、だからこそ達成感も大きく、満足できるのだろう。

だからといってあまりに困難すぎると疲労が先に立っちゃうし、簡単すぎるとただの作業になってしまうから、ちょうどいい塩梅が必要なんだと思う。

 

仕事に関しては当然ながら報酬や評価が大事になってくる。仕事に見合った報酬や評価をもらえればやりがいを感じるし、それがやる気にも繋がるからどんどん報酬がほしい。

つまり金である。給料がなければ仕事をやる意味もないし、やりがいを感じることもない。

 

夢も希望もない話だが、みんなそんなものだろう。

ブラック企業なんかは「人の役に立つことがやりがい」とかなんとかほざいてるけど、結局そいつらも給料がもらえなきゃ仕事なんてしないんだから。

綺麗事なんて役に立たないものは捨てたほうがいい。

 

 

 

 

ちなみに「他人からの評価は気にしない」と常々言っている私だが、やはりある程度は気になってしまうもので。それも悪いことではないと思っている。

他人から評価してもらうことで自分の行いを顧みることにも繋がるし、どう評価されているかを気にするのは当然の話だろう。問題はその度合だと思う。

 

とくに人助けをしたときに「ありがとう」と感謝してもらえると、とても嬉しい。

まぁそのせいで頼られることも多くて、それが負担になることもあるんだけど……。

だからさ、「やりがい」ってのは物によって条件が変わるってことだよね。

すべてが同じ条件でやりがいに繋がるわけじゃないだなって今回のお題で気づきました。

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