思い出のお弁当

「痩せたくないの?」

 

今日言われた言葉です。衝撃的。

痩せたくないわけないだろ! 痩せられないだけだわ。

 

 

痩せるには相当の覚悟が必要ですが、その覚悟はどうやったら手に入るんでしょうか。

誰かを見返したい? 誰かに振り向いてほしい? モデルになりたい?

 

私にはそんな目的も目標もありません。強い動機がないからいつまでも痩せられない。

自分に甘すぎて運動もできないし食事制限もできない。だから痩せられない。

そろそろ心を入れ替えなければと毎日思っているけど痩せられない。

自分に腹が立つことといえば、痩せられないってことだけです。

 

 

 

ということで、今週のお題「お弁当」を書いていきます。

学生のころは母が作ってくれた美味しいお弁当をほぼ毎日食べていました。

母のお弁当はスタンダードなもので、キャラ弁のような華やかなものではありませんでした。

というか私の時代にはキャラ弁なんてなかった。でも普通のお弁当で本当に良かったと思っています。キャラ弁なんて持っていくの恥ずかしすぎるもの。

 

おかずは冷凍食品だったり残り物が主でしたが、それでも毎日早起きして作るのはとんでもなく大変なことだし、母は料理が好きではない人なので、なおさら大変だったと思います。

本当に感謝しかありません。

 

 

社会人になってからは母に作ってもらうのも悪いし、かといって料理下手な自分が作れるわけもなく、おにぎりをひとつ持っていくだけになりました。

肉体労働をしているわけでもないから、朝食べていれば昼食を抜いても夜までもつんですよね。だからおにぎりひとつでもなんの不満もなかったし、食べない日もあったくらいです。

 

でもお弁当は好きですよ。家で食べるのとはまた違った楽しみがあるというか、冷えたご飯でも美味しいと感じさせる魅力があると思います。

とくに運動会の日のお弁当に入っている卵焼きは格別!

いつもより美味しく感じたものです。家で同じものを作っても全然違うのが不思議。

 

 

学生のころも社会人のときも誰かと食べることがほとんどでしたが、本当はひとりでゆっくり食べたい派です。

「何を食べるかではなく、誰と食べるか」なんて格言もありますが、私には何を言っているのかまったく分かりません。もちろん嫌いな人と一緒に食べても美味しくは感じないけど、好きな人と食べてもなにも変わらない。美味しいものは美味しいし、不味いものは不味いです。

 

もうひとつ言えば、便所飯をする人もよく分からない。

「誰と食べるか」よりも「どこで食べるか」のほうが美味しさに直結する気がするんだけど。

便所で食べるご飯は美味しいのか?

 

ひとりだと思われることが恥ずかしいという気持ちも理解しかねる。

むしろひとりになりたい人間なので、一生分かりあえない気がします。

 

 

 

お弁当の話から遠ざかっちゃった。

ちなみに今はお弁当といえば買ったものばかり。先日はとんかつ弁当を食べました。

なぜかは分からないけど、手作り弁当と比べるとなんだか味気なく感じちゃいますよね。

プロが作った美味しい料理が入っているはずなのになんでだろ?

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